選択の痕跡

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宇多田ヒカル「BADモード」 ~軽やかに、鮮やかに、真摯に。~

宇多田ヒカルの「BADモード」に囚われ続けている。ここ最近は、気付いたら宇多田ヒカルリリスクの曲に落ち着いてしまうわけだが、そろそろ一区切りをつけたいと思い、これを書いている。

発売前は、若干の不安もあった。既発曲が多い事は分かっていたし、何より「BADモード」なんて、一見"ダサい"タイトルを付けることの意図がいまいち掴めなかった。しかし、そこかしこで言われている通り、素晴らしい作品であったことは間違いなく、むしろあまりに素晴らしいが故に、今でも囚われ続けているわけだ。


もちろん過去記事で度々触れてきたわけだが、そもそも、改めて響き渡る既発曲の素晴らしさたるや。
「誰にも言わない」や「Time」小袋成彬の最高の仕事っぷりと、宇多田ヒカルのボーカルの凄みから醸し出される、抜群のタイム感。
「One Last Kiss」「君に夢中」では、A.G.Cookの絶妙なエレクトロの音色に痺れる。
こちらも小袋成彬プロデュースの「PINK BLOOD」については、何度も書いている通り、どこをどう切り取っても良さしかなく、聴く度に心があらゆる方向に突き動かされる。

しかし、その流れの中を踏まえての、Floating Pointsが参加した新曲3曲を含めてアルバムを通して聴いたときには、正直戸惑った。あまりに"自由"すぎる。そこに若干の違和感を感じた。
分かりやすいところでは、「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」が12分弱あると知った時は、やり過ぎだと思ったし、最初聴いたときは、やっぱりちょっと長くないかという気もした。「気分じゃないの (Not In The Mood)」については、叙事的に、実際に目に見たものをリリックに落とすという初めての手法を用いたが故に、これまでにない不思議な世界観を感じた。「BADモード」は、やはりまずタイトルが気になる。アルバムタイトルかつ1曲目のタイトルに持ってくるまでのことなのか。
最も気になったのは、これまでの流れを踏まえると、今作も日本語へのこだわりという要素があるのだろうと思っていたのだが、そういった要素は新曲に至っては完全に取り払われている点だ。インタビューにおいても、言語への制約をかけるのをやめたという趣旨のことを話している。(直接的には「Find Love」と「キレイな人 (Find Love)」、「Face My Fears (English Version) / Hikaru Utada & Skrillex」と「Face My Fears (Japanese Version) / 宇多田ヒカル & Skrillex」という、英語と日本語それぞれのバージョンの曲を収録したことについての言及ではあるが、明らかに通ずるものがある。)
英語も日本語も縦横無尽に、軽やかに。その上で、日本語の音への乗せ方は、さらに研ぎ澄まされた感がある。「今日は気分じゃないの / じゃないの / じゃないの」であったり、「オーシャンビューの部屋一つ / オーシャンビュー 予約 / オーシャンビューの部屋一つ / 予約 予約」といった、リリックとフロウには驚愕するしかない、これがここまでハマってしまうとは。

自分でも、褒めているんだか、いないんだか、良く分からない文章になっているが、ここからだ。
あまりに"自由"すぎるという印象は今も変わらない。しかし、何度か聴くうちに、その"自由"さへの捉え方が、鮮やかに転倒した。これほどに"自由"だからこそ、この作品は光り輝いているし、そこに価値がある。そう思うようになった。

上記で明示的には触れなかった既発曲2曲についても、この流れで触れるべきだろう。「Find Love」、「Face My Fears」どちらも、英語版と日本語版の両方が収録されているという時点で、興味深いわけだが、前者は、終盤に待ち受ける、景色を一変させるほどの強烈な重低音は、一歩間違えれば、曲全体のバランスを大きく崩しかねないはずなのに、綺麗な着地を見せている。後者に至っては、そもそもEDMの音色が明らかに今作の全体のムードからはズレており、言ってしまえば浮いている。多く見かけた意見だが、収録されてなくてもよかったかもしれない。
しかし、こういう曲があること、特に「Face My Fears」をあえて収録したこと、ここに、今作の真髄があり、作品が表明したかったムードや空気が生まれているのだと思う。それは、決まりきった何かではなく、宇多田ヒカル自身が自分に真摯になること。それが大事だったのではないか。そして、それを、自分は"自由"と受け取っているのではないか。

改めて「BADモード」である。ここまで考えてきて、やはりこのアルバムの精神を最も表しているのはこの曲だ。そしてこのタイトルも、これでなければならなかった。
まさかのため息で幕開けさせながら、「絶好調」という日本語と、「BADモード」という造語にて、真っ正面から対比させて見せるフックのラインには、気負いのない軽やかさを感じる。終盤に向けての展開は鮮やかだ。アンビエントな風景から、緊迫感のあるブリッジをブラスと共に越えた先では、ボサノバやジャズの香りを感じる明るさを魅せる。しかしながら、この曲の言葉たちには、宇多田ヒカルがこの真摯に向き合ってきた、必ずしも明るさだけではない現実がある。そして、それは、トップアーティストだけが向き合うような特別性の高い現実では決してなく、ひたすらにパーソナルで普遍的な現実なのだ。
このバランス感覚だ。軽やかさ、鮮やかさ、真摯さ。どれかに寄り過ぎずに、かつ濃度が薄まらないように、全てが入り混じって、1+1+1が、3どころか、10にも100にも1000にもなっている。そして、そんな曲に「BADモード」というちょっと気の抜けた タイトルをつけることで、さらにそのバランス感覚を何重にも強固に表現している。
2022年、もうこれしかないじゃないか。そう思いながら、今日も「BADモード」を再生する。


宇多田ヒカルは、インタビューで"成功とはなにか?"について問われた。そこでは、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を引きながら「成功や失敗というのはあくまで経験に対する概念・解釈であり、常に変化するもの。唯一の失敗は、挑戦を諦めた時である。つまり、成功とは、挑戦し続けること。挑戦し、学び、成長する。」といった内容を答えている。
ひたすらに、恐ろしい。宇多田ヒカルにあって、まだまだ挑戦し、学んで、成長するつもりなのか。
だからこそ、この作品の"自由"さなのだと、腑に落ちる。宇多田ヒカル自身がまだまだ挑戦し続けている。トップアーティストには、おそらく自分には予想もできないしがらみや縛りがあるに違いない。ここまで積み重ねてきたものも莫大にあるわけだ。それでも、まだ挑戦しつづける。
宇多田ヒカルがそこまで出来るのであれば、自分に出来ない道理があろうか。

おそらく今後一生自分の中に残り続けるであろう、強烈なパンチラインが、何度でも頭の中をリフレインする。
軽やかに。鮮やかに。真摯に。
「王座になって座ってらんねぇ / 自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ」

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