選択の痕跡

音楽・テクノロジー・哲学

lyrical school / The Light ~ <光>を受け取ること ~

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lyrical schoolの2022年一発目のリリース「The Light」。
同時に発表された4/20リリース予定のニューアルバム「L.S.」は、セルフタイトルを思わせるものであり、何かしら特別な意味合いを持たせるかもしれないと考えると、「The Light」が如何に重要な役割を担っているかが良く分かる。

といいつつも、当初はどこか不思議な感覚に陥っていた。それは、こういった気合の入った曲にありがちな、一切の空気感が、思ったものとは違った形で表現されていたからだ。
聴き込んで漸くわかったが、それは「<光>を受け取ること」という根幹のモチーフに最も現れている。ここに至った今は、リリスクはここに到達したのか!という純粋な驚きと感動すら感じている。

一聴して、降り注ぐ最先端の音の束

今作の目玉は、プロデューサーだろう。
2年連続で関ジャムの人気企画「プロが選ぶ2021年 年間マイベスト10」に選出されている、今最も注目すべきトラックメイカーと言っていいKMがプロデューサーを務め、パートナーのLil' Leise But Goldもコンポーズで参加するという盤石の布陣。「TIME MACHINE」に引き続きではあるものの(その時もよく起用出来たと思う)、あれから1年を経て、さらに破竹の勢いで活躍を続けるKM・Lil' Leise But Goldを改めてここで起用することの意義を感じざるを得ない。

この曲を初めて聴いたのは、昨年末のライブの配信を観ていた時だった。初めて聴いたときから、その音像に、(sic)boyに近しい印象を抱き、おそらくはKMが関わっているだろうことは容易に想像出来た。それほどに記名性のある音。明らかに最先端。それは間違いない。
ただ、音源を聴いたときの印象は、ライブの時とはまた違ったものであった。ライブで感じた前のめりの疾走感は、まさしく(sic)boyのような音を、今のリリスクで実現していると感じていたが、そうではなかった。
ロックやポップパンクを感じさせる疾走感がありつつも、曲全体の持つその温度は高くない。緊張感、緊迫感を前面に出して力強く切り開いていく、そう言ったものではない。 心地よさに振り切って、ただただ音に身を任せさせる。そう言うものでもない。
これらの狭間を淡く表現している、そんな音楽だ。諦念でも執着でもない。
全体としてまともな音程がないほどのチャレンジングな音像で勝負するKMのトラックは、そういうムードを絶妙に表現している。

しかし、このムードを作り出しているのは、もちろんトラックだけではない。この曲の真骨頂はリリックにある。そう思っている。

<光>を受け取ること、愛を積み重ねながら

ライブで聴いていた時はそこまで気にならなかったが、音源で聴いてみると、どこか引っかかる。それがしばらくは分からなかったのだが、ようやく分かった。フックで繰り返される「Give me the light」だ。
前作「Wonderland」の最後を「SEE THE LIGHT」が飾っており、その繋がりも感じる「The Light」とタイトルであるが、そこでは、光を"くれ"というのだ。古今東西の音楽をみれば、大して珍しいものではないだろう。しかし自分は、ここで、光を与えることではなく、「<光>を受け取ること」について歌っていることに重要な意義を感じている。
ファンを元気づけるというアイドル像から見れば、普通は光を与えることが多いのではないか。しかし、過去にyuuとhinakoが、私たちはファンのアイドルをさせてもらっていると言った通り、受け取る側から世界を切り取ると、違った景色が見えてくる。

これは、終わりの見えないコロナ禍を経験している2022年の重要な概念である、利他の話だ。『思いがけず利他』にて、中島岳志は利他についてこう語る。

「利他」は、受け取られたときに発動する。

利他の構造においては、「発すること」よりも「受け取ること」のほうが、積極的な意味を持つのです。━━━自己が受け手になること。そのことによって、利他を生み出すこと。

ここでは、利他とは何かについては踏み込まない。というか語るほどの知識を自分が持ち合わせていない。しかし、今の閉塞感のある社会において、考える価値がある概念であることには違いないと思っている。その利他をして、重要だとされているのが、「受け取ること」なのだ。
上述の書でも引用されている近内悠太の『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』では、より直接的に、「受け取ること」の重要性が語られている。
この本では、贈与について語られるが、そこでは贈与は差し出す側から生まれるものではない、という。受け取ることがあって、初めて贈与が生まれる。

贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。「私は何も与えることができない」「贈与のバトンをつなぐことができない」というのは、本人がそう思っているだけではないでしょうか。宛先がなければ、手紙を書くことはできません。そして僕らは手紙を書かずには生きていけません。

贈与は与えあうのではなく、受け取り合うものなのです。


リリスクが歌っているのは、まさしくこういうことではないか。プレフックとフックで繰り返される「give me the light」。
加えて、そこに隠されているのは、ひたすらに積み重ねられる愛(ai)。特に、minanのプレフックでは、「ai」の韻を、KMの強調した低音に乗せながら、これでもかと歌う。こういう粋のあるリリックに、「The Light」という曲が創り出す絶妙なムードの根幹を感じる。

応答すること、そしてそこから生まれること

宇多田ヒカルへのインタビューが話題になり、minanへのインタビューを行っている、個人的に今最も素晴らしい文章を書くと思っている文筆家、つやちゃんが1月に満を持して上梓した必読本「わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論」には、「Wonderland」への物凄い熱量のディスクレビューが載せられている。そこから引用したい。

そろそろ、わたしたちはlyrical schoolの本気に応答すべきなのだ。本作は、数十年続くこの国のヒップホップ史の記念碑的な事件である。なぜアイドルがこんなにも暴力的な音を鳴らしラップしているのだろう

そう、ここでも応答すること、つまり受け取ることが求められている。リリスクが受け取ることから始めているように、我々も受け取ることから始めなければいけない。
では、受け取ってどうする?
そこに解はない。しかし、その一つの道筋この曲は歌っている。yuuのブリッジだ。
必要なのは、受け取ることから始めて、与える側と混ざり合うことで、変化を生み出していくこと。もちろん、ここにも愛(ai)は埋め込まれている。

You and I
混ざり合い 溶け合い
目の前光の波
反応して変化して 歌いつづけてゆく

lyrical schoolの到達地点

過去にプロデューサーのキムヤスヒロにインタビューした記事で、とても気に入っている一節がある。以下だ。

グループの見え方としては、サクッとライブやってサクッと帰る、でもライブは最高。みたいな感じが理想なんですよ。こいつら地元でずっと一緒にやってきたのかな、みたいな。2018年の「TIF」でSMILE GARDEN(屋外ステージ)に出たときに、奥から5人がダラダラ出てくるのを観て「あーこれこれ」と思ったんですよね(笑)。ほかのアイドルさんはパパパッと出てきて板付きで始めるのに、リリスクは水飲みながらダラダラと出てきて、この感じはカッコいいなという手応えがあって。

直接的には、この形とは違った形であろうが、「The Light」にて魅せるlyrical schoolの表現は、確実にこの思想の延長上にある。気負いの一切が削ぎ落とされて、それが故に個々人の個性が十二分に開かれる。
つやちゃんのツイートにある通り、ここまでの余裕と貫禄を見せつけるまでになっているとは。単なる良し悪しの話ではないと、前置きしたうえで、自分はこの域に到達しているアーティストを他に知らない。他のどんなアーティストとも違った次元にいると感じる。だからこそのこの表現ではないか。
一体この曲から始まるニューアルバム「L.S.」は、どのような仕上がりになるのか。この1枚で、さらにどのような到達地点を魅せてくれるのか。続報を楽しみに待ちたい。最後に、改めて引用しよう。

そろそろ、わたしたちはlyrical schoolの本気に応答すべきなのだ

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