選択の痕跡

音楽・テクノロジー・哲学

"複雑"をどう考えるべきかという話

最近なんとなく考えていることを書き留めておきたい。それは、
我々は、

1. "複雑"をネガティブに捉えすぎているのでは?
2. 本来"単純"であるべきものを"複雑"に、"複雑"であるものを"単純"にしてきてしまったのでは?

ということだ。


きっかけは、「BS1スペシャル シリーズ コロナ危機 「グローバル経済 複雑性への挑戦」という番組だ。

www.nhk-ondemand.jp

以下の記事を書いたこともあるが、「欲望」シリーズという特集番組にて、数々の視点を披露してきた出演者たちが、コロナについて語ったという番組だ。

shogomusic.hatenablog.com

全体を通して、とても興味深かったのだが、特筆すべきは、第7章の「複雑性の回復力」だ。
ここで、知性たちが複雑性について語っているが、そこで示される世界各国の経済の複雑性を表したデータがある。それが、以下である。 世界各国の輸出データをまとめ、産業ごとの複雑性を評価し、総合複雑性を順位付けしたものだ。

ampmedia.jp

日本は世界第一位の経済の複雑性を持っているなんて、全く知らなかった。1995年の開始以来トップらしい。
しかし、果たして、これはコロナ危機に対して、吉と出るのか凶と出るのかは、よく分からない。特定の産業への依存度が低いとみれば、良いことかもしれないが、輸出に依存しているという意味では、良くないことかもしれない。
この状況が、これからの社会において、どういう結果を導いていくのかは分からないが、この話を聴いたときに、冒頭の二つの考えがふと思い浮かんだ。

まず「"複雑"をネガティブに捉えすぎているのでは?」という点だが、上記の経済の複雑性の話もそうなのだが、"複雑"であることは決して悪いこととは限らないはずだ。
しかし、日常生活で、"複雑"という言葉を使うことは、そのほとんどがネガティブな意味を含んでいるように思える。
自分には理解できそうもないものを、"複雑"だと言って遠ざけてしまうことは、誰にでも経験があるのではないだろうか。
しかし、"複雑"ではなく、"単純"であれば、良いのだろうか?"複雑"と"単純"はそんな簡単な二項対立ではないはずだ。
例えば、"複雑"という言葉で表現したものが、実は"多様"だとか"冗長"だとか、違った意味合いを持つ場合もあるのではないか。そうなると、ぐっと、"複雑"の持つニュアンスが変わる気がする。
"複雑"であることと、もっと向き合うべきなのだろうと思う。

そして、そこからもう一つ、「本来"単純"であるべきものを"複雑"に、"複雑"であるものを"単純"にしてきてしまったのでは?」という考えにも至った。
我々は、"複雑"であることを忌み嫌うはずなのに、とっても"複雑"なものを作ってしまう。
例えば、今日たまたま目にした以下のツイートもそうだ。なんでこんなに"複雑"なものが出来上がってしまったのだろうか。。。

例えば、やたらと面倒な行政の手続き。申請する側も処理する側も面倒なのに、なぜ複雑にルールやオペレーションが絡み合ってしまっているのか。。。

例えば、自分がシステムエンジニアとして普段格闘する、いわゆるモダンなWebシステムではなく、忌み嫌われるSIerが関係するような業務システム。もはや人間には読み解けないような複雑怪奇な業務ロジックは、一体誰のためにあるのか。。。

こういうことを考えると、別に"複雑"が悪いわけではないのだが、それを適応するところを決定的に間違えているのではないかと思う。
違う言い方をすれば、本来もっと考えるべきところを疎かにし、どうでもいいところを一生懸命に考えてきてしまったのではないか。

学術的に何かを勉強したわけでも、調べたわけでもなく、ふと思っただけで、何か自信があるような考えでもないのだが、なんだかずっと自分の中に留まっている。
"複雑"ということを、もっと真剣に考え、考える方向を"複雑"/"単純"という二項対立から違う次元に変えなければいけないということだろうか、などとぼんやりと考えている。
特に結論もない記事で申し訳ないが、社会が"複雑"になっていると、しきりに叫ばれる時代に、どう"複雑"と向き合うか。少なくとも、それは重要なことだと思う。