選択の痕跡

音楽・テクノロジー・哲学

音楽とテキストの紐づけを再構築できないかという話

自分は音楽を良く聴く部類の人だと思うが、色んな音楽を聴く中でずっと持っている課題意識みたいなものがある。
それは"音楽とテキストの紐づきが見えづらくて、もったいない"ということだ。
例えば、普段Twitterとか見ていれば、多くの人が色んな曲について、感想だったり、考えだったりを述べている。でも、その情報って、音楽と全然紐づけられてなくて、もったいないなぁという話だ。
情報を知りたい時には、我々には、"ググる"という最強の武器があったはずだが、それもいつからか、あまり質の良くない情報が多く表示されるようになってしまったみたいな話もあるし、こと音楽に限れば、感想やレビューが知りたくても、なかなかその情報にたどり着けず、リリースに関する同じようなニュースばかりがヒットしてしまうという感覚がある。(ただ単に検索能力が低いと言われれば、それまでかもしれないが、、、)


そんなことを考えていたのだが、最近AWAが楽曲にコメントを投稿できる機能をリリースしたという記事を観て、そうそう、必要なのはこういうのだよ!と思った。

news.yahoo.co.jp


ただのコメント機能ならば、Youtubeと大差ないかもしれないが、

各音楽ジャンルに精通したアーティスト、音楽ライター、メディアが“AWAオフィシャルライター”として、“コメント機能”を使って楽曲やアルバムのおすすめのポイントや聴きどころを解説していることにも注目したい

というところが特に良い。楽曲とテキストの距離が近くなり、音楽の楽しみ方を拡張する仕組みになりうると感じている。
そして、

2020年、“音楽雑誌”的な音楽の楽しみ方がテクノロジーの進化によって、“聴けて書けて読める”という夢のような音楽メディアの再構築が実現した

と、この記事の中で、著者のふくりゅうさんが書いているが、まさしくその通りだなと思った。



この話は、あくまでAWA上の仕組みではあるが、改めてネット上には、色んな音楽に関する価値のあるテキストが転がっているわけで、それらの紐づけをプラットフォーム横断で再構築する動きが出てこないかなと期待している。感想やレビューに限らず、音楽に関連する色んなテキストをだ。
良いテキストは色んなところに眠っているはずだが、例えばTwitterは情報が流れていってしまうし、Youtubeのコメントは、普通動画見てたらコメント観る機会って少なくない?と個人的には思っている。
もちろん情報が流れていくこと、散らばっていることに価値があるという考え方もあるかもしれなくて、そのあたりは考える必要があるかもしれないが、tofubeatsの最近のツイートでも、音楽とテキストの紐づけという観点で色々思うところがあった。

これって、まさにせっかくのテキストが、音楽と全然結び付いてなくて、お互いの価値を棄損してしまっているとすら感じる最たる例だ。
こういうのを見ても、やはり、音楽とテキストを紐づける仕組みや役割は必要では自分は考えている。その仕組みや役割は、具体的には、AIのような技術なのか、AWAのような仕組みなのか、はたまた人なのかは、まだ良く分からない。が、やはり、あったほうがいいとは思うし、考えていく必要があると思う。

一般的な音楽リスナーとしては、大して興味がないところなのかなぁとも思うが、オンラインにおける音楽とのエンゲージメントを高めることにも繋がるのではないか、とも思っている。
AWAの取り組みを起点にして、ぜひ今後良い方向に発展していくことを期待したいし、自らも何か出来ることがないか考えていきたい。