選択の痕跡

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『積読こそが完全な読書術である』は情報爆発の時代における情報との向き合い方を考えさせてくれるという話

積読こそが完全な読書術である』という本を読んだので、その感想を書く。
まだ1回通読しただけで、そこまで深く読めていないのだが、コメントなんていつも話半分にしか見ないものの、この本に関しては千葉雅也氏のコメントの通り、"人生観を逆転させる"という言葉に深く頷ける。

積読こそが完全な読書術である

積読こそが完全な読書術である

  • 作者:永田 希
  • 発売日: 2020/04/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


おそらく初めてこの本を知ったのは以下の記事だ。

realsound.jp

何言ってんだというのが、最初の感想。
タイトルだけ見れば、トンデモ本の一種としか思えなかった。
しかし、本をそれなりの数読む人であれば、見逃せない魔力があるタイトルだとも思った。


自分自身、積読を重ねる毎日を送っている。
読書は基本はKindleなので、そこまで物理的な空間を本が圧迫することはないものの、それでも電子書籍が常に50冊以上は積読されていて、日々積読の後ろめたさを感じているし、
基本は電子書籍とはいえ、紙の本もないわけではなく、そちらも合わせるとどれほどとなるのか、数えたくもないのが正直なところ。
外出できないGWですら減らずに増えていく一方であるこの積読と、一体どのように付き合えばよいのか、どうすればこの後ろめたさから解放させるのかは、一つの悩みの種である。


そんな個人的な課題意識もあり、手に取ったこの本であったが、とりあえず一体どんな主張なのかと読み始めてみると、すぐに、トンデモ本なんかではないと考えを改めた。
むしろ、これほどまでに積読に真摯に向き合ったテキストは読んだことがないと思った。


時折難しい話も出てくるが、主張自体はとてもシンプル。
いわゆる巷に溢れる読書術も引き合いに出しながら、現代の情報の濁流の状況の中で、情報のカオスに流されないように生きていくために、自律的に積読を構築していく「ビオトープ積読環境」こそが必要だという主張が、多面的に繰り返されていく。
"ビオトープ積読環境"というものが何か、なぜ重要なのかについては是非本書を読んでいただきたいが、自分の理解で簡単に補足しておくと、
"ビオトープ積読環境"とは、自ら主体的に選び取ったテーマに沿って、興味がある本を積極的に積んでいくことで構築されるものである。
そして、定期的にかつゆっくりとその積読と向き合いながら、必ずしも読書をするという選択肢を取らずとも、自分の中の興味の関連を見直していく。そうして、積読を運用をすることで、情報のカオスに立ち向かうことが出来る、といったところだろうか。
(この解釈は大分ざっくりである。 なので是非読んでみていただきたいのだが、
本書でも繰り返し触れられているピエール・バイヤールの「読んでいない本について堂々と語る方法」にて、読書というのは究極的には終わらないものであり、どんな読み方をしても読み落とす箇所や読み違える箇所はある。だから本を読み終えることに執着する必要はなく、自分の解釈で語って良いのだと言う。
ここまで割り切って考えたことは正直なく、一つの衝撃だった。この主張に賛否はあるだろうし、自分としてもなんとも消化しきれていない部分はあるのだが、だからこそあえて自分の解釈でざっくりと書かさせてもらったという背景がある。)


そして、辿り着く『積読こそが完全な読書術である』という一つの結論は、見事である。
そこまで分量の多い本でもなく、語り口も読みやすいので、ぜひ積読に何かしら感情を持っている人には、読んでみてほしい、そんな一冊だ。


ただ、個人的にこの本の最も興味深かったことは、ここではない。
それは、あくまで"積読"をベースに話を展開してはいるものの、その射程は本に限らない、"情報そのもの"までに広げられていることだ。
日々たくさんの情報をインプットすることをルーティンワークのひとつとしながらも、インプット過多で自滅しているとも感じている自分には強く響いた。
確かに、読書に限らず、生活の中でこれでもかと主張してくる多様な情報とどう向き合っていくかについて、"ビオトープ積読環境"という考え方は適用できるはずだ。


例えば、Googleとの付き合い方。
最近はあまり聞かないような気もするが、少し前には、
Googleさえあれば細かいことは気にしなくていいじゃん派と、
記憶しないとGoogleで検索できないから意味ないだろ派
の論争のようなものもあった気がする。
改めて調べてみると、"Google効果"なる言葉もあるらしく、その議論にも本書はひとつの視点を投げかけられるのではないか。

cocoronext.com


本書でも触れられるダニエル・カーネマンの2つの思考モードと読書の在り方も関連させて考えてみれば、
Googleに極力頼らずに自分の記憶だけを頼ることは、速い思考であるシステム1として本を徒に読むこと。
・自らの記憶は最小限でひたすらにGoogleに任せることは、遅い思考であるシステム2として本を徒に積むこと。
このように考えられるかもしれない。
この状況に対して、積読に限らずにもっと広い意味で、自らの情報のビオトープを構築していくことこそ、情報爆発の時代に我々が情報と接する一つのあり方なのではないかと感じた。
(2つの思考モードと読書の在り方については、本書に詳しい説明があるので、そちらを参照してほしい。)


そして最後にひとつ。
この本はまだ終わりではなさそうだ。
なんと貨幣やコンピュータプログラムまでも"積読"に含めて真面目に議論しようと考えているらしい。
この本の中ではこれ以上詳しいことはほぼ触れられていないが、"積読"からここまで大風呂敷を広げたところには、良い意味で鳥肌が立つほどの衝撃を感じた。


"積読"は後ろめたいというこれまでの価値観を華麗に転倒してみせたこと。
"積読"というキーワードから世界を捉えることの面白さを提示して見せたこと。
この2つこそがこの本の最も刺激的で個性的なポイントだろう。

積読こそが完全な読書術である

積読こそが完全な読書術である

  • 作者:永田 希
  • 発売日: 2020/04/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)