選択の痕跡

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「欲望の資本主義」シリーズを3冊読んで、時代を変えるのは"哲学"の役割だと考えた話

「欲望の資本主義」という本がある。
もともとはNHKの番組発で、それが書籍化した形のようだ。
番組、本ともに、2017年に第1弾が公開され、その後1年ごとに新シリーズが公開されている。
著名な学者に、"欲望の資本主義"ということをメインのテーマに置き、様々な視点から回答を引き出していくスタイル。
番組と本の内容は大体対応しているものの、本の方が深く内容が書かれており、
番組のほうが、ストーリーを強調し、分かりやすくしている印象がある。
現在、番組では「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」が、
本では、「欲望の資本主義3―偽りの個人主義を越えて」
が2019年に公開されているのが最新作である。
シリーズの評判は良いようで、資本主義のみならず、民主主義や貨幣論に踏み込んだ作品も作られている。

www.nhk.or.jp

 

今回、上記の本3冊を読んで、考えたことをまとめておく。
まずは、簡単にそれぞれの本の内容を紹介する。

 

欲望の資本主義

欲望の資本主義

 

いきなり、ノーベル賞学者スティグリッツの「アダム・スミスは間違っていた」という衝撃的な話から始まるシリーズ第一弾。
スティグリッツは、政府の役割を強調し、アダム・スミスの"見えざる手"に関して、都合の良いように解釈する現在の資本主義のルールに警鐘を鳴らしている。
成長至上主義ともいえる現代に警鐘を鳴らすのは、チェコの経済学者であるセドラチェクも同様。
経済学を古典から捉えるなど、独特の考え方を見せるセドラチェクの意見は、痛快で純粋に面白い。
 

欲望の資本主義2

欲望の資本主義2

 

2作目では、フランスの経済学者コーエンとの長い対談から始まる。
コーエンも資本主義には批判的な態度を示しながらも、その中で多面的に、慎重に、現状の分析と、今後の展望を話す。
20世紀経済学の巨人、シュンペーターは「資本主義は、その成功ゆえに、自壊する」と言ったが、現状をみるに、まだ生き残る資本主義を冷静に見て、そこから道筋を見つけ出そうとする態度が印象的だ。
そして、この書のハイライトは、ドイツの若き天才と言われる哲学者、マルクス・ガブリエルと前作にも登場したセドラチェクの対談だ。
どちらかと言えば主流ではない経済学者だろうセドラチェクと、哲学者のガブリエルが、資本主義をテーマに話すということで、それは話は広がりに広がりを見せる。
それぞれが、哲学的、歴史的に、資本主義や現代の社会を捉え、意見をぶつけていく展開は非常にスリリングだ。

 

欲望の資本主義3: 偽りの個人主義を越えて

欲望の資本主義3: 偽りの個人主義を越えて

 

3作目では、前作でも少し見えたように、"資本主義"という枠組みを超えた内容が多くなる。
GAFAや仮想通貨といったテクノロジー的観点が多いのが印象的。
その中でも特に今作のポイントは、サピエンス全史・ホモデウスで一躍時代の寵児となった歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリと前作にも登場した哲学者ガブリエルとの対談が収録されている点だろう。
ハラリの、テクノロジーやデータという視点から見る資本主義には、怖さもあるものの、昨今の出来事から見ても、その指摘の鋭さと重要性が良くわかる。
また、ガブリエルは、改めて哲学をベースに、幅広い知識から社会の見方を提供してくれる。
その中でも、哲学によって世界を変えるという気持ちが伝わってくるのが、非常に心強い。


 

このように簡単に3冊を振り返ってみたが、
最も個人的に面白いと思うのは、"欲望の資本主義"と銘打ち、経済学的視点から始まったこのシリーズが、現在は、経済学を超えて、テクノロジーや哲学といった色を強く見せている点だと思う。
1作目の冒頭にもあるように、現在の主流はである新古典派経済学は、社会の問題点に対して有効な策を提示できていないように思える。
経済学というと数学的分析が重視されるように思えるが、セドラチェクの言う通り、数字は大事だが、数字は必ずしも実態を正確に表しているとは限らないことを念頭に置いておかなければいけない。
経済学として習う数多くの考え方は、確かに数学的にはその通りだが、前提条件が多く、そのまま社会にあてはめられるものわけではない。

そういった複雑な社会状況の中では、セドラチェクのような多様な考え方や、ガブリエルの主戦場である哲学の役割が非常に重要になるのだろう。
それを、このシリーズは示しているのだと思う。
哲学の役割について、
セドラチェクは、各分野をつなぐ糊であると、
ガブリエルは、いわばコンサートのオーガナイザーだと言っている。
この社会の多種多様な問題に対して、それぞれの専門家の知識を有効活用するためにも、上記のような役割を是非哲学者に期待したい。
きっと、この社会の閉塞感を打破するためには、"曖昧で抽象的で分かりづらい哲学"ではなく、"本質を貫く哲学"こそが、その力を発揮し、
社会に対して希望を切り開くことこそ、今最も必要なことなのではないだろうか。